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2007115 ゼッフェリーノ・ナムンクラ サレジオ青少年霊性の実り

サレジオ家族への総長書簡


愛する兄弟姉妹の皆さん、サレジオ家族の皆さん、親愛なる若者の皆さん、

 私は喜びにあふれる心で、この書簡を書いています。サンピエトロ広場で1028日に行われたスペインの殉教者の列福式に、私もあずかることができました。主は新たな63人 の福者をもって私たちを祝福してくださいました。それはドン・ルアの次の言葉を確証しています。「子どもたちの聖性は父の聖性のあかしです。」聖性を生き 方の計画にしようと努力する私たちにとって、彼らは刺激となってくれます。特に社会が、人々に奉仕する、情熱にあふれたキリストのあかし人を必要としてい る今の時代に。

 この喜びは、雨を集めてあふれる川のように、ゼッフェリーノ・ナムンクラの列福が来る1111日の日曜日に近づくにつれ、ますます大きくなっています。列福式は、彼の生まれたアルゼンチンの巡礼地で行われます。ゼッフェリーノの聖性の評判は、1930年、ルイジ・ペデモンテ神父が証言を集め、出版しはじめたときにさかのぼり、その承認は、教皇パウロ六世による1972年の尊者として宣言にはじまり、その後、200776日、教皇ベネディクト十六世による列福の勅書への署名によって与えられました。

  ゼッフェリーノの聖性は、サレジオ青少年霊性の表現、実りです。その霊性の特徴は、喜び、イエス・マリアとの友情、義務を果たすこと、自らを他者に与える ことです。ゼッフェリーノは、ドン・ボスコによって派遣された最初の宣教師たちが、ヴァルドッコのオラトリオでドン・ボスコによって行われたことを再現し たその忠実さの、動かしがたいあかしなのです。すなわち、若い聖人を育てることです。それは今日でも、人生の意味の明確な意識に触発され、勇気ある選択を 行い、他者に仕えながらしっかりと心を神に向けた若者を必要とする世界にあって、私たちの役割なのです。

 ゼッフェリーノの生涯は、わずか19年の物語ですが、私たちへの教えに満ちています。

 彼は1886826日、 チンパイに生まれ、2年後、サレジオ会宣教師ミラネジオ神父から洗礼を受けました。ミラネジオ神父は、マプーチェとアルゼンチン軍との間の平和協定を仲立 ちし、それによってゼッフェリーノの父親は、自らの「大カチコ」の称号と、部族の人々のためにチンパイの土地を保つことができました。ゼッフェリーノが11歳 のとき、父はブエノスアイレスの政府経営の学校に彼を入学させました。しかし、その学校が合わなかったため、父はゼッフェリーノをサレジオ会の「ピオ九 世」高等学校に転校させました。ここで、恩寵の働きの時が来ました。まだ信仰によって照らされていなかった心は、キリスト者の生き方の英雄的なあかしとし て変容されていきました。ゼッフェリーノはまたたくまに、勉強に多大な関心を示すようになり、信心の実践に心を奪われ、カテキズムを愛し、仲間であれ長上 であれ、すべての人に受け入れられ喜ばれるようになりました。二つの体験が、彼を最高峰へと駆り立てました。ドメニコ・サビオの伝記を読み、熱心に彼に倣 うものとなったこと、そして初聖体を拝領し、最大の親友イエスへの完全な忠実を誓ったことです。このときから、「列に並ぶこと」、「鐘の音に従うこと」に 大変な困難をおぼえたこの少年は、模範的な生徒になったのでした。

  ある日、ゼッフェリーノはすでにビエドマでサレジオ会の志願生でしたが、フランチェスコ・デサルボが、駆け足で馬を走らせてきた彼に向かって、「ゼッフェ リーノ、何がいちばんしたい?」と呼びかけました。フランチェスコは、アラウカニ族がその技能に長けていた、乗馬に関わる返答を期待していました。しか し、少年は馬を止めながら「司祭になりたい」と答えると、再び馬を駆って走り去っていきました。

  この内的生活の成長の年月に、彼は結核を患うようになりました。故郷の環境に戻すことも取り計らわれましたが、改善は見られませんでした。カリエロ司教 は、イタリアでよりよい治療が可能かもしれないと考えました。イタリアでのゼッフェリーノの存在は、注目を集めました。新聞はパンパスの貴公子について敬 意をこめて書きたてました。ドン・ルアは最高評議会の食事にゼッフェリーノを招き、ピオ十世は私的謁見をゆるし、関心をもってゼッフェリーノの話に耳を傾 け、ad principesの勲章を授けました。1905年の328日、ゼッフェリーノはティベリナ島のファテベーネフラテッリ病院に入院しなければならなくなり、511日に亡くなりました。彼は、無類のやさしさ、勤勉さ、清さ、快活さの記憶を人々の心に残しました。

 ゼッフェリーノは、サレジオ青少年霊性の成熟した実りでした。彼の遺骸は現在、アルゼンチンのフォルティン・メルセデスの聖所にあり、彼の墓所には絶えず巡礼者が訪れています。アルゼンチンの人々のあいだで、ゼッフェリーノは聖性の評判を得ているからです。

  ゼッフェリーノは、マプーチェの同胞の苦しみ、悲しみ、希望を自らのうちに体現しています。マプーチェの人々は、彼が多感な思春期を送っていたころに福音 を伝えられ、賢明なサレジオ会の教育者たちの導きの下、信仰の賜物に心を開いたのでした。ゼッフェリーノの生き方の計画全体を要約する言葉があります。 「同胞の役に立つ者になるために、勉強したい」。実際、ゼッフェリーノは、司祭となって同胞のもとに戻り、彼の出会った最初のサレジオ会宣教師たちがそう していたように、人々の文化的・霊的向上に貢献するため、勉強したいと望んでいました。

 聖人は、人類の空に予期せず現れ消えてゆく、流れ星のような存在では決してありません。むしろ、家庭のなかで、またある民族のなかで、長い、沈黙のうちに待つ時の実りです。その家庭・民族の最良の特質が、その子のうちに表れるのです。

  ゼッフェリーノの列福は、若者を信じること、ほとんど福音を知らない若者をも信じることへの招きです。真に人間的なものを何も壊すことのない福音の実り豊 かさを発見し、一人ひとりが自分のうちにキリストを再現するよう人間を育てるという、驚くべき働きへの教育の貢献を見いだすようにとの招きです。

  信仰が体制への迎合あるいは責任の欠如であるなどと考える人がいれば、それは間違っています。反対に、信仰は歴史の変革を可能にする力です。聖性は、毎日 の生活にほとんど即していない特殊な状態であると思う人もいますが、実際は、現実のうちに表れる、満ち満ちた豊かな人間性なのです。聖人とは、真実な、満 たされた、幸せな人です。ゼッフェリーノの同時代の人々の証言は一致して、彼の心の善良さ、生きる姿勢の真剣さを語っています。仲間たちは、「彼は目で微 笑んでいた」と言います。彼は見事な、聖なる少年であり、今日、若者の模範として指し示すことができ、また指し示さなければなりません。神がゼッフェリー ノのうちに与えてくださったこの類まれな賜物に感謝しながら、サレジオのアルゼンチンは、彼の記憶を生き生きと保つ責任を感じなければなりません。この模 範が、聖性への有効な道を若者たちに示しつづけることを確信しつつ。

 サレジオの聖性の美しいモザイク画におけるこの新たな一片のために主に賛美と感謝を捧げながら、若者への信頼、福音の文化受容、予防教育法への信頼を新たにしましょう。

親愛をこめて、ドン・ボスコのうちに。

2007111日 ローマ

諸聖人の祝日

総長 パスクアール・チャーベス・ビラヌエバ神父
                        

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