
|
2007年11月19日 チリ サレジオ会員殺害犯の判決が確定
11月5日、判事は、ブラス・バラサ・クィンテーロとフロリアン・モンダカ・サエスの両被告に神父の死の責任があるとし、禁固10年と1日の刑を言い渡した。一方、エンゾ・メニコーニ・ロルカは事件について明かさなかった罪により禁固3年と1日の刑が言い渡された。メニコーニ・ロルカは執行猶予付き、ほかの二人は実刑となった。 取調べにより確認された事件の経緯によると、1973年10月21日、令状もほかの動機もないまま、3人はジェラルド神父を神学生リカルド・サルガード・トーレスと共に、イクィクェのドン・ボスコ高等学校で逮捕した。その後の尋問のあいだ、3人はポブレーテ神父を鈍器で殴りつけ、胸骨と何本かの肋骨を折り、修道者の死の原因となった内出血を引き起こした。この間、ジェラルド神父は、受けていれば命が助かったかもしれない手当てを受けることはなかった。 「真理と和解国民委員会」によってまとめられた資料では、この事件の説明としてジェラルド神父が誤ってトラックから転落したことが死因とされ、その後、独 房で死んでいるのが見つかったとされたが、同資料にあるほかのいくつもの報告は、この説明に疑問を投げかけ、修道者の死は警察署で起きたと主張している。 サレジオ会員は、スパイだと糾弾された後に逮捕されている。証人たちによると、神父は拷問を受けながら「父よ、彼らをおゆるしください、何をしているのか わかっていないからです」と叫んだという。 判決が伝えられると、サレジオ会チリ管区は声明を発表した。声明は、「長年にわたる悲しみと衝撃」について語り、「若者と教会に仕えていた」会員、家族が悼んだ者の死について、何ら明らかにならないまま長い時が過ぎたことに触れた。 声明は、「今後の段階がこれまでのものより短期間で終わり、このケースを閉じて、私たち、また家族の心に少しのなぐさめが与えられること」を望むと表明した。被告はいずれも規定の期間内に控訴しなかったので、本件は終了し、判決が確定した。 |