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日本のサレジオ会

1925年はサレジオ会海外派遣の50周年記念の日々、宣教師団派遣プロジェクトがたてられた。
チマッティ神父を団長とした9名のサレジオ会員が12月29日、日本に向けて、ジェノヴァから船出した。
サレジオ会員が日本の地に第一歩を踏んだのは1926年2月8日、門司港であった。長崎を経て宮崎へ。2月17日、活動の拠点が置かれた。 ここから、日本のサレジオ会はさらにはばたくのである。
〒160-0011 東京都新宿区若葉1-22-12
サレジオ修道会 日本管区長館
現在日本サレジオ会本部は四谷(上記の住所)に置かれている。
サレジオ会の現状分析(サレジオ会管区長Puppo神父による)管区会議のときに発表
■ ドン・ボスコ関連リンク
聖ヨハネ・ボスコ(ドン・ボスコ)とは?
Don Giovanni Bosco 1815-1888
1815年8月16日、北イタリア・ピエモンテの寒村に住む農家フランチェスコ・ボスコとマルゲリタ・オキエナの間に二人目の男子として生まれた。ジョバンニ(ヨハネ)と名づけられた。
幼い頃から聡明だったジョバンニは多くの人々の善意に支えられて司祭職への道を進んだ。
ドン(司祭/神父)・ボスコと呼ばれるようになった彼は産業革命の進展によって都市(トリノ)に流入する青少年のケアがなされていないことに気が付いていた。
神の導きに従って、ドン・ボスコはトリノにオラトリオと呼ばれる青少年事業を起こした。やがて青少年の中から彼に従う人々が現れた。こうしてサレジオ修道会が誕生した。
サレジオとはドン・ボスコが修道会を設立したときの保護の聖人として聖フランシスコ・サレジオを選んで修道会名をサレジオ会と命名した。
ドン・ボスコは1888年1月31日に世を去ったが、サレジオ修道会は20世紀のおとずれとともに世界中に広がった。
サレジオ会の理念
サレジオ会員は
神から愛されていることを心から実感している人です。
創立者ドン・ボスコに倣って、愛している神を若者に伝える人です。
若者のまことのしあわせのために仲間を募って、心砕く人です。
若者と共にいるときに最大のしあわせを感じる人です。
若者がまことのしあわせを発見できるように祈っている人です。
若者のしあわせのために疲れを知らぬ働き人です。
聖フランシスコ・サレジオを模範として忍耐とやさしさをもって若者を包む人です。「労働と節制」をモットーに生き、一日のすべてすべてを神にささげ、若者のために喜怒哀楽をささげる人です。愛することを知らず、疎外され、心とじた若者にそっと同伴する人です。
サレジオ会の始まり
北イタリアのピエモンテ州、農家の1家族であった。父フランチェスコ・ボスコ、母マルゲリタにひとりの男の子が生まれた。1815年8月16日のことであった。その子の名はジョヴァンニ、ヨハネとも言う。貧しいくらしでも、健康で豊かな心のたくましい少年に育った。聡明で、明るく、意志の強い少年は仲間のリーダーになった。ジョヴァンニは不思議な夢を見た。気高い人とやさしい先生。彼をとりまく悪がきはその後羊のような顔になった。(中略)
その夢はジョヴァンニに使命を暗示していた。「ぼくは若者の友だちになって魂を救おう」こころざしを立てたその少年は、苦労を重ねて司祭になった。
彼は、ドン・ボスコ(ボスコ神父)と言われ、若者の父と慕われた。そのころのピエモンテのトリノは産業革命の渦の中。生活の場を求める人でにぎわった。仕事に追われた大人はこどもをかえりみず、若者は一日中、群れては悪事を重ねていた。
心を痛めたドン・ボスコは、若者に遊び場を、食べ物を、仕事を、家を与えて、安らぎのオラトリオをつくった。若者の安らぎをいつまでもとのつのる思いにドン・ボスコは同志を集めて修道会をおこした。
柔和の聖人フランシスコ・サレジオの保護下にその修道会をおいた。やさしく、忍耐をもって、心に訴える導きをサレジオ会の真髄とした。「聖フランシスコ・サレジオ修道会」が正式の名称。1871年、カトリック教会は、通称「サレジオ会」を公認した。
ドン・ボスコは1888年1月31日、この世を去った。サレジオ会員は、20世紀の訪れとともに、世界各地に広がった。
サレジオ会の霊性
(http://salesio.jp/)ここからお入り下さい。
旧サレジオ会リンクしています
サレジオ会日本管区の歴史
サレジオ会日本管区のあゆみについてQ&A形式でまとめてみました。
☆日本管区年表はこちら!
Q 日本にサレジオ会の来日はいつですか。 それはどのような人たちでしたか?
A 最初の会員が到着したのは1926年(昭和二年)のことです。イタリア人のチマッティ神父を中心とした9名の宣教師団でした。(チマッティ、タンギー、ピアチェンツァ、メリーノ、デ・マティア、グァスキーノ、マルジャリア、カヴォリ、リビアベラ)
日本ははじめ中国管区のもとで準管区でしたが1938年に正式に管区になった。
Q チマッティ神父とはどのような人ですか。
A ヴィンチェンツォ・チマッティ(1879−1965) イタリア人のサレジオ会員。すでにイタリア時代から高徳の司祭、優れた教育者として知られていたチマッティチマッチ神父は45歳の時、サレジオ会の記念事業である日本宣教師団のリーダーに選ばれました。 46歳で来日したチマッティ師は日本での宣教に心血を注いでいます。
特に日本人司祭の育成に心をかけ、長年管区長、調布神学院院長をつとめたのち、1965年に86歳で世を去りました。
チマッティ神父についての詳細な伝記はこちらをごらんください。
Q サレジオ会系の学校・施設ができたのはいつですか?
A 主な学校・施設については以下のとおりです。
帝都育英工業学校(後育英工業学校/育英工業高等専門学校/サレジオ高専) 1934年
サレジオ学院中高等学校 1963年 (全校が1995年に川崎から横浜に移転)
サレジオ学園 1946年
大阪星光学院 1949年
宮崎日向学院 1949年 (前身となった宮崎小神学校は戦前からありました。)
中津ドンボスコ学園 1947年
Q 司祭を養成する支部にはどのようなものがありますか。 それらはいつ開かれましたか?
A 現在 中高生のいる小神学校が横浜と四日市に2、大学生以上のいる大神学校が調布にひとつあります。
それぞれの開設は以下のとおりです。
調布神学院 1950年(戦前、大神学校は宮崎にありました。)
横浜志願院 1974年(1995年に川崎市鷺沼から横浜市に移転)
四日市志願院 1995年
サレジオ会の紋章
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